むかし、樋田から青(いずれも今は本耶馬渓町)へ行くには、岩壁に作られた(鎖渡し)の道を渡らなければならなかった。
この道は、山国川の上にそそり立つ岩かべにそってつくられた道で、ここをとおるときは、岩かべにはられた鎖を命づなにして渡っていた。それで、村人たちは、この難所を(鎖渡し)と呼んでいた。鎖渡しで、足をすべらせて、下の山周川におちて死ぬ人があとをたたず、誰もが困っていた。
享保19年(1734年)のことであった。この鎖渡しのある岩壁に、ひとりの旅の僧が、衣のそでを背にむすんで、のみをふるいはじめた。僧の名まえは、禅海といった。
禅海は、もと越後(今の新潟県)高田藩の武士の子で、小さい頃の名まえを福原市九郎といった。市九郎は10歳のときに父を亡くし、母とふたり、江戸(今の東京)に出て暮らしていた。
だが、父のいない市九郎親子のくらしは、みじめなものであった。
母はやがて病気になってしまった。
市九郎は病気の母のことはにも耳をかさないで、悪いなかまにはいり、けんかをしたり物をぬすんだりして、ついにはもののはずみから中川四郎兵衛という人を殺してしまった。
母は心配のあまり、とうとう、市九郎を残して死んでしまった。
母の死で目がさめ、悪いなかまからぬけだした市九郎はこれまでの罪をつぐなうため、僧となって、国じゅうをめぐりはじめた。そして、この耶馬渓まできたとき、多くの人たちがこまっている(鎖渡し)のことをきいて、そのままとおりすぎられなくなったのだった。
カッツン、カッツン……。
禅海のふるうのみの音が、耶馬渓の谷間にまい日ひびくようになった。
とおりがかりの村人が、「お坊さん、どうなさるんで……。」と、きいた。
「この岩をけずって、青にぬける道をつくるのです。」
このことばをきいて、村人たちは、耳をうたがい、顔をよせあった。
禅海ほそうした村人たちにかまわず、雨の日も風の日も、やすむことなく力をこめて、のみをふるった。
静かに念仏をとなえながら、自分が殺してしまった、中川四郎兵衛への、罪の償いをしょうと、一心に掘り続けていった。
日ましに着ものは破れ、髪も髭も、伸び放題に伸びていった。
3ケ月、6ケ月と月日がたっていった。村の子どもたちが集まってきては、あざけて石をなげたりしても、禅海はあいかわらず、手をやすめることもなく、じっと念仏をとなえながら、のみをふるった。はじめは、わずかな岩穴であったのが、だんだんと深く大きくなっていった。
それからまた、1年、2年、3年と月日がたった。花がさき、雨がふり、風がふき、雪がふりつもっても、禅海は一心にのみをふるいつづけた。
じっとひとりすわって、のみをふるう禅海に、いつしか、村人たちも心うたれ、
「あの坊さまは、えらい坊さまじゃ。」
「やあ、お坊さま、わしらもかせいさせてもらいます。」
といって、手伝う者がでてきた。石をなげつけたりしていた村の子どもたちまでも、
「お坊さま、てつだいましょう。」と、
岩くず運びをてつだうようになった。
やがて、26年の年月がながれた。光もまったくとどかなくなった岩穴のおくで禅海は、なおも、かすかな灯をたよりに岩かべをほりすすめていた。
そんなある日のこと、ひとりの武士がこの岩あなにやってきた。岩くずをはこんでいる村人に、「ちょっとものをたずねるが、岩かべをほっている僧は、福原禅海というものではないか。」と、たずねた。
村人から武士のことをきいた禅海は、暗い穴の中からでてきた。
年も60歳をこえているうえ、ひたすら岩かべをほりつづけたため、すっかり体がよわりきっている禅海にむかって、「禅海、わすれたか。わしは、お前に殺された中川四郎兵衛の子、実之助だ。父のかたき討ちにきた。覚悟しろ。」
と、武士が叫んだ。
この言葉を聞いた禅海は、
「なんで忘れましょう。この四十年間、あなたの父上をころした罪に、いつも苦しんできました。その罪ほろばしのために、穴をほりつづけているのです。もうすこしです今、あなたの手にかかって死ぬのが本当ですが、あと三年、命をかしてください。この洞道ができましたら、いつでもあなたに討たれます。どうかおねがいします。」
と、手をついてたのんだ。
しかし武士は、「いや、ならぬ。かくごしろー」と、刀に手をかけた。
そばでようすを見ていた、跡田村の庄家喜作さんは、けんめいにふたりの中にはいると、実之助に、禅海の三年の命ごいをして、工事をつづけることにした。
実之助は、樋田村の庄屋小川家にとまって、禅海を見はることにした。
禅海は、このことがあってから、いっそうのみをふるう腕に、カをいれていった。
毎日毎日、一心に穴を掘り続けた。
村人たちも、禅海と一緒になって、懸命に工事の加勢をした。
禅海を見はっていた実之助も、早くかたきを討ちたい一心から、たすきがけで、手伝いはじめた。実之助は岩穴をほることを手伝ってみてはじめて、この洞道を作ることが、どんなにたいへんな仕事かということを、ひしひしと感じるのであった。
カツーン、カッ、カッ、カツーン……。
いっしょにのみをふるううち、禅海の真心が実之助のむねにひびき、身にこたえ、心の奥深くまでしみ込んできた。
実之助のふるうのみのひとふりごとに、禅海への憎しみがうすらぎ、禅海とともに洞道を掘りあげることだけに、力がそそがれていった。
こうして、ついに宝暦13年(1763年) の秋の夜ふけ、実之助がきてから3年めのことであった。禅海が岩かべにむかってのみをふるいはじめてからでは、およそ30年の月日がすぎていた。
やせおとろえた禅海のうったのみのさきに、ぽっかりと小さな穴があいた。その穴のむこうに、月あかりの中から、山国川のしずかなながれが、禅海の目にはっきりとうつった。
「うううう………。」
30年間の苦しみと喜びが、心の底からわきでるような声となって、禅海の口からしぼりだされた。
禅海は、30年間という月日をじっとかみしめるかのように、しずかに目をとじた。
やがて、目を開いた禅海は、「中川さま、見てください。やっと掘りぬくことができました。」と、言いおわると、実之助の手をしっかりと握りしめた。実之助も、禅海の手を握りしめた。
握りあった手に、ふたりの涙が流れ落ちた。
握りしめた二人の手から、憎しみも、苦しみも、悲しみも、すべてが山国川の流れの中に、流されていった。こうして、30年にわたる禅海の血のにじむような努力によって、青の洞門は開通した。
それからのち、ここをとおる旅人も村人も、あのけわしい鎖渡しをわたることもなく、行き来できるようになった。
2012年01月04日 23:32
冷たい雨が降る中、九州旅行へ出発です。
新神戸 から 博多 まで
のぞみで2時間ちょっと。
小腹がすいてきたので…
博多ラーメンを食べるため!? 博多下車。
細い路地には、11時現在、すでに行列ができています。
一蘭
一蘭はこんなお店(^^♪
このお店、食べることにひたすら ”集中” するため
色んな工夫がされているのです。
まずは食券機で食券を購入。
といっても、メニューは
天然とんこつラーメンのみ
あとはお好みのトッピングを選択。
↓ あと、こんな細かいお好みもきいてくれます ↓

青ネギも白ネギも食べたい。と思い、
両方丸をつけてみたけど、結果は青ネギのみでした。
追加注文でネギを頼んでみました。
お皿に青ネギがわんさか山盛りでてきました!
色々試してみるのです。

「味集中カウンター」と名付けられた
席に着くと、まるで競馬でゲートインしたお馬さんの気分。
さてさて「真剣に食べなきゃ!!」 気合い入れて、「いただきます!!」
2012年01月02日 23:12
近所の神社へ初詣に行き、
無性におみくじが引きたくなり、開けてみると…
ゲッ!
初めて見る文字!
「ハンキョウラン?」いやいや「ハンキョウ」
半凶って?? なんなのさ?
震える手で読み、
神様に身代わりになってもらうべく木に結びつけてきた。
あ~でも書いてある内容も忘れちゃった(^_^;)
帰って調べてみると
順番的には
大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉・末小吉・凶・小凶・半凶・末凶・大凶
だそう。
改めてショック!! 半凶は凶より悪い(;一_一)
先日、テレビで見た情報によると、
新年の始まりから「凶」を引くのは気が悪いということで、
「凶」の数は少な目 または 入れていない神社もある中、
ものめずらしい「半凶」を引いたっちゅうことは、
なかなかの くじ運。
やや強引ではありますが、よい年になりそうな予感です(*^^)v
2012年01月02日 21:14
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代表のくじはしです。 毎日の暮らしをもっと楽しくするための、失敗しない住まいづくりの秘訣をお伝えしています。 →代表あいさつを読む @住まいの夢先案内所.com 代表取締役 くじはし 一浩 住宅ローンアドバイザー 宅地建物取引主任者 二級建築士 プライベートブログ →社主くじはしの一期一会を読む |
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